第一章
孤独
な香港生活、
一歩踏み出す勇気
香港はどのような生活でしたか?
一番初めの24で結婚して半年後に海外に行った香港だったんですけど、まだイギリス領の香港で、仕事もやめて、まだ今みたいにインターネットも全然なくて、本当に孤独で。タワマンで目の前の海見ながら泣きながら過ごしてた
夫は仕事で家にいないし、出張でしょっちゅう家を空けてるし、日本語のテレビも、日本語の新聞も半日ぐらい遅れて入るような時で。あの、もっと日本人が住んでるところだったらいいけど、夫が働いてたのがアメリカの企業だから、アメリカ人が住むところに住んでるんで、日本人も全然いない。街に出る時のバスで日本語喋ってる観光客の人に話しかけたいぐらい寂しかった。でも、夫の仕事で来てるから自分の勝手に何かもできないと思ってて。まだ結婚して半年だったから、夫婦もまだ慣れてない。夫は寝言を英語で言うぐらいで、本当に辛かった。
家族や友人に連絡はできなかったのでしょうか
今だったらね、ネットでいくらでも繋がれるからいいけど、日本と全然連絡ができないから、今じゃちょっと考えられない。銃撃戦がしょっちゅうあるような場所だったねー、まだイギリス領から中国に返還っていう時だったんで、すごい激動の年を過ごしてて。今ちょうどそういう香港の、昔の香港のブームの映画とかいっぱい、まさにあの時代を。まあ、面白い時代でもあったんでしょうけど、私は割とこう、のんびり、安心して過ごしたいタイプなんで、激動のところにいるのはすごい所在なくて。なんか「本当にどうしたらいいんだろう」って。でも、そこでいろいろ学んだかな。
それからずっと1人で何とかしなきゃという感じでしたか
結局、まあいろいろつてを辿って知り合いの方を作って、アメリカ人の教授とか外国人と結婚してる日本人の方とか、そういうコミュニティのところにたまたま縁があって、その方はうちの母よりは年上の人だったんですけど、いろんな人を受け入れてくださる方で、そこで、いろんなお稽古事しながらおしゃべりしてました。
いろんな美術品が家にいっぱいあって、いろいろ見る目も肥えました。日本の美術、本当にあの、狩野探幽とかの絵がその辺にポンと置いてある。絨毯とかも畳に見えるように全部畳色に染めたりとか、襖とかそういう障子とかわざわざ日本から持ってきた、そういうお家だった。素晴らしいものはどこにでもある、美しいものはどこにいても美しいことを学んだり。
楽しくてやってるっていうよりも、そこでやる事があることが大事だったから、そういう時にやっぱり日本のこといろいろ勉強しましたね。人との縁を大事にしたいなって思いましたね。もう必死だったので

